社会

『舎利弗の真実に迫る』講義10 大川隆法氏の悲しい性(さが)

『舎利弗の真実に迫る』講義10 大川隆法氏の悲しい性(さが)

「初期には、力のある人がいないから、とにかく過去世が偉くなければ困ったのではないでしょうか。
『釈迦が生まれているのだから、幹部に釈迦弟子がいなくてはいけない』というような事情があったのかもしれません。」(『舎利弗の真実に迫る』P70)

<解説>
これは大川隆法氏ご自身の言葉です。
非常に不思議な感覚に襲われるのですが、一体「過去世が偉くなければ困った」人とは、どなたなのでしょうか?
また、「『幹部に釈迦弟子がいなくてはいけない』というような事情」とは、どなたのご事情なのでしょうか。
これは私が「困った」のでもなければ、私の「事情」でもありませんので、ここは念のために申し上げておきたいと思います。
これはすべて、大川隆法氏の事情であり、都合なのです。
そこで問題です。
果たして本物の釈迦の生まれ変わりなら、こんな手段を必要とするのでしょうか。
歴史上のお釈迦様は、弟子の過去世認定をすることで、自分を偉く見せることなど、一度もされたことがありません。
教祖の自己都合で、GLAやその分派の人への対抗の必要から、いいかげんな間違った過去世認定をする。
そうなると、これによって得られた名声は、誤って得られた名誉であり名声ということになります。
これはお釈迦様が悪魔の軍隊として指摘された煩悩です。
「誤って得られた利得と名声と尊敬と名誉」は悪魔の軍隊であり、これに執着すると悪魔に支配されることを釈尊は教えておられました。
(中村元訳『仏陀のことば』参照)
大川隆法氏が、エンリルそしてその分霊の高橋信次霊を、「邪神性がある」と認定されるのでしたら、それと同じことをされた大川隆法氏は、
高橋信次霊と同じ種類の人間であることを、はからずも告白したことになります。
私ははっきり申し上げます。
今の大川隆法氏には、はっきりと「邪神性」が出てきていると思います。
なお、「あったのかもしれません。」と、何か人事のように言っていますが、これは大川隆法氏一流の弁論術です。
自分が責任を取らなくてすむような言い方です。
自己責任を回避する傾向が大川隆法氏にはあります。
これは自己責任の反省の教えとは相反する傾向性です。
私は、自己責任の思想や反省の思想は、天上界が大川隆法氏の教育のために説かせた教えであったと思います。
ですから、大川隆法氏は、初期のご自分が説かれた教えに謙虚に立ち返り、もう一度人生をやり直すべきなのです。
私は大川隆法氏にも天国に還って頂きたいので、そのことをあえて申し上げたいと思います。

「どうやら、釈迦の二大弟子が大川家に出てきているようではありますね。」(『舎利弗の真実に迫る』P72)

<解説>

これも大川隆法氏の発言です。
これがこの本で、最も言いたかったことであると思います。
そのためには、以前の過去世認定は否定する必要があり、除名処分はそのための格好の機会であったと思います。
大川家に釈迦の2大弟子がでているとなると、『仏陀・大川隆法』氏の権威がますます上がると思われるのでしょうね。
自分の権威付けのために、周りの過去世を偉くするというのは、大川隆法氏の基本戦略です。
それが見えてしまうと、人間としての悲しい性(さが)を感じてしまい、悲しくなります。
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