社会

特に相手を悪しざまに罵る霊言をだして誹謗するのは、完全にワンパターンです。

自己愛性人格障害の視点からの検証(6)批判された時の対応

批判への対応の特徴

⑤ 自分に向けられた非難や批判に対し、怒りや憎しみを持つか、屈辱感や落胆を経験する。

これらの感情は必ずしも表面にあらわれず、内心そのように感じているということがしばしば。

自分に言い聞かせて自分を慰めることができない。

誰か他の人に慰め、認めてもらわないと、自分を維持できない。

否定をされるとそれを受け入れられずに現実逃避し、嘘や詭弁で逃げようとする。

そのため失敗について本当に反省したり、そのときのつらさや痛みを認識する能力に欠けている。

失敗(あるいは批判)から新しく何かを学ぶことができない。

(自己愛性人格障害の「臨床像」⑤)

「自分に向けられた非難や批判に対し、憎しみや怒りをもつ」というのは、大川総裁への私の「手紙」に対するリアクションを見れば、その通りだと思います。

攻撃するときのパターンは決まっていて、それまでの評価を一転して逆にする価値剥奪、

会員や社会向けて発信される言論によるリンチ、裁判による経済的なダメージを与える攻撃、呪い・呪詛です。

特に相手を悪しざまに罵る霊言をだして誹謗するのは、完全にワンパターンです。

その霊言を会員に見せて自分の味方につけないと、不安で仕方がないのだろうと思います。

相手を攻撃するためには、脅しやでっち上げもいといません。

講談社フライデー事件への対応も、大川氏を守るために職員や会員が講談社をファックスやデモで総攻撃しないと収まりませんでした。

若き日の大川氏をカウンセリングしたカウンセラーに対して、ある幹部職員が脅し、そのカウンセラーの発言を封じ、

「大川氏と会ったことがない」ことにさせたこともありました。

これなどは、そんな強引な手段を使い、相手を脅して嘘をつかせてまで隠蔽しなければならないことだったのか、今考えると不思議です。

若い日にカウンセラーに会いに行き悩みを相談していてもいいのではないでしょうか。

それとも「大悟」したあとのことだから、具合が悪いということだったのでしょうか。

もっと正直であってもいいのではないかと思います。

幸福の科学では自己責任の原則を教えますので、私への批判は謙虚に受け止めるようにと努力しました。

しかし自分のプライドの部分が否定され、批判されたときは、これを受け入れることにはすごく抵抗がありました。

創価学会への批判が終わった後に、『創価学会亡国論』やそれ以降の批判シリーズの執筆によって

「会員が阿修羅波動の影響を強く受けた。またこの折伏路線で信者が増えなかった。」という批判を、大川総裁から間接的に受けました。

大川氏はこうしたことを自分で直接言わずに、部下に言わせるのです。

だからどこまでが正確な大川氏の言葉かがわからないので、素直に受け入れることができにくかったのを覚えています。

受け入れにくい私の側の事情もありました。

私は邪教批判を、幸福の科学での最大の仕事であり貢献であると考えていたので、その批判を簡単には受け入れることができませんでした。

特に、この仕事で「会員さんに阿修羅波動の影響を与えた」とまで言われると、

もしそうならどうしてもっと早く、その都度指摘してくれなかったのかという思いが残りました。

なぜなら、邪教批判の本や月刊誌の記事を何度出しても、その都度、阿修羅波動があるという警告は一度もなかったからです。

大川氏の人の使い方を見ると、顕著な特徴があります。

部下に立場や任務を与えるときは、相手の自尊心を高めます。

おだてて使うとも言えます。

この時に、問題点をあまり指摘しません。

しかし、何らかの事情で方向転換するときは、前任者の問題点を後任のものにズバズバ指摘します。

これにより、後任の人は前任者より自分が評価されたと思い込むのですが、やがて自分も同じ目に遭います。

通常は相手の間違いを自分で指摘しないで、人に言わせるので、部下同士が反目したり、競い合います。

これによって徒党を組ませないように、分断して支配しているのだと思います。

ごくまれに大川氏が自分自身で部下の問題点を言うこともあります。

しかし、その時は非常に抑制された言い方をします。

大川氏は部下であっても自分ひとりで会うことはほとんどなく、必ず誰かをそばに置きます。

意外に気が小さくて臆病であるのではないかと感じるゆえんです。

誰かを側に置いて話すもうひとつの理由は、「先生がこういった」という言い方で勝手なことを言わせないという抑止効果も計算されていました。

大川氏の人の使い方を見ていると、自分に歯向かわないようにして、従属させることにウエイトがかかりすぎていて、

育むという視点がほとんどないのではないかと思います。

さて、折伏路線の当時の心境を今から振り返ると、相手を攻撃することにばかり意識が向かい、

創価学会の信者への慈悲の思いや救済の思いがなくなっていったと思います。

これは最大の反省点です。

ですから自分自身の心が、この仕事を通じて阿修羅化していったということは反省しています。

これは愛の心が消えると、魔に勝つどころか自分が魔に支配されていくという危険性を学んだ経験でした。

幸福の科学の幹部がルシファを追い出せるかどうかという試みをしているDVDを精舎で見たことがありますが、

誰ひとり愛の心で接した人がいなかったのは印象的でした。

降魔に失敗した最大の理由は、愛の気持ちの欠如です。

教義では「神は悪魔をも育み時間を与えて、無限とも思える時間をかけて進化してくることを願っている」と教わっているはずです。

その神の心が愛です。

その愛を忘れて戦うことばかり考えていては魔を指導できるはずがないと、気がついて欲しかったと思います。
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